あっという間に3月になりましたね😊
数日前に、近所の梅の花が咲き始めていたのを見て、嬉しくなりました👩✨
さて、3月と言えば「卒業式」ですよね!
卒業式と言えば、「君が代」!!
えっ?ならないって??
私が子どもの頃は、卒業式や入学式に「君が代」を歌った覚えがあるのですが、最近はどうなのでしょうか?
一時期「君が代」を歌わない風潮がありましたよね?それは今もなお、続いているのでしょうか?
「君が代」を歌った世代の人のなかには、もしかしたら嫌々歌っていた人もいるかもしれませんね。
私はあまり何も考えずに歌っていた気がします😅
これは私の想像ですが、おそらく、嫌々歌っていた人、私のようにただ何も考えずに、卒業式などのプログラムに入っているからとりあえず歌っていた、という人が大半ではないでしょうか?
そしてその理由は、
・なぜ歌うのかが分からない
・歌詞の意味を知らない(または間違った解釈をしている)
ところにあるのではないかと思います🤔
ということで、本日は「君が代」の歌詞の意味について、お伝えしようと思います。
「君が代」の元となった歌とは?
なんと、「君が代」の元となった歌がありました!最初から「国歌」として作られたわけではなかったのですね😲
「君が代」の原歌(もとうた)は、古今和歌集にあります。
※古今和歌集・・・延喜5(905)年、醍醐天皇の勅命で撰進された
※撰進・・・詩歌・文章などを作ったり、選んで編集したりして、天皇などに奉ること
この歌は、古今和歌集の「賀歌(がのうた)」に「よみ人しらず」で出てきます。
賀歌とは、長寿を祈る歌のことです。
「君が代」の歌詞の意味
私の敬愛する人よ、
千年も先まで、
小さな石が巨岩となって、
さらにその表面を苔が覆うようになるまでの永い歳月を、
どうか息災でいてください
なんだか素敵👩✨
「君が代」には千年以上の歴史があった!
「わが君は」→「君が代は」
「千代にましませ」→「千代に八千代に」
と変化しながら、庶民が個人個人の敬愛する人の長寿を祈って、一千年の永きにわたってこの賀歌を伝えてきました。
鎌倉・室町時代には、神社や寺院での行事、田楽や酒席の宴で歌われ、
江戸時代には、庶民の仮名草子や読本、小唄、長唄、浄瑠璃、盆踊歌から物乞いが家の門に立って物を恵んでもらうための門付歌(かどづけうた)にまで唄われていました。
「君が代」が国歌になったのは明治時代
このように、「君が代」は古代から愛涌され、千年以上庶民によって歌い継がれ、日本列島のほぼ全域に拡がっていきました。
ですが、国歌になったのは意外と最近!
明治になってからでした。
イギリス人の軍楽長の「国家を作るべきだ」という助言により、薩摩藩の砲兵隊長・大山巌が「その歌詞は古歌から選ぶべきだ」と、自分が愛涌していた「君が代」を選んだそうです。
これに曲がつけられて、明治13年、天長節(11月3日)(文化の日ですね!)の宮中宴会で、明治天皇の前で正式に奏楽されました。
こんな歴史があったなんて👩✨
まとめ
「君が代」は敬愛する人の長寿を祈る歌で、千年以上も前から歌い継がれていたことが分かりました。
「君が代」の本当の意味を知ると、「君が代」に対するイメージや気持ちもまた変わってきますね👩✨
このような永年継がれてきた文化が、ただ「知らない」とか「偏見」「思い込み」などという理由で排除されるのは、おかしいのではないかと思います。
そもそも、自分の国歌の意味を知らなかったり、歌えなかったりするこの現状について、考える必要があると思いました。
なぜ、このようなことになってしまったかについては、また機会があれば書こうと思います😀