ひのもとのたみがよむブログ

by日本人目覚まし促進委員会

コロナ騒動とエイズの真相③~HIVの発見をめぐって2️⃣~


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↑こちらを読んでいない方は、①から順に読んでください🙇‍♀️
今日の記事は、この続きになっています。


前回の記事で、

「モンタニエ(フランスのパスツール研究所)から送られたウイルスのサンプルを、ギャロ(アメリカ国立衛生研究所)が自分の出世のために秘密裏に流用した」

ことを書きました。

今日は、その詳細を書きます。

モンタニエ(フランス)とギャロ(アメリカ)の争い


(Wikipediaより)


【ギャロの主張】

パリのパスツール研究所のリュック・モンタニエから確かにウイルスのサンプルをもらった。

しかしそのサンプルは育たなかった。

自分たちは独自にエイズ患者から集めたサンプルを培養し、ウイルスを見つけた。

このサンプルをもとにエイズ検査薬を作り、特許を取った。


(Wikipediaより)

これに怒ったパスツール研究所は、訴訟を起こしました。

訴訟はパスツール研究所が勝利しましたが、その後、米仏間の政治的取引によって、1989年に両者が利益を分配することになりました。


www3.nhk.or.jp


(↑の記事から一部切り取り)


www.asahi.com

(↑の記事全文)

ヒト免疫不全ウイルス(HIV)と命名

モンタニエとギャロは同じウイルスに別々の名前をつけていましたが、国際委員会によって、そのウイルスは「ヒト免疫不全ウイルス(HIV)」と命名されました。

この統一名称はモンタニエ(フランス)とギャロ(アメリカ)の争いを収めるためにとられた措置でしたが、このウイルスを「ヒト免疫不全ウイルス(HIV)」と呼ぶことは、大きな誤りでした。

これが、ヒト免疫不全ウイルス(HIV)とエイズの因果関係を解析しようとする研究に、先入観を植えつける結果となってしまったからです。

デューズバーグへの酷い処遇

(Wikipediaより)

デューズバーグは、「国立科学アカデミック紀要」という学術誌の中で、「新しいウイルスとエイズ発症との間に、十分な証拠がない」という鋭い指摘をしましたが、無視されました。

学術誌の編集者は彼の論文を却下するようになり、ついに、フロッシー・ウォン=スタール(デューズバーグと反目していた人)が理事長を務める委員会は、デューズバーグへの研究資金の更新をしないことを議決しました。

こうして、デューズバーグは研究費を断ち切られ、学会に呼ばれることもなくなってしまったのです。

まとめ

HIVというウイルスの発見をめぐって、モンタニエとギャロ、さらには両者の国の政府までもを巻き込んだ熾烈な争いがあったということが分かりました😲

そして、聡明で勇気のあるピーター・デューズバーグ。
本当のことを言ったら、酷い仕打ちをされてしまいました😣

次回

ところで、この「ヒト免疫不全ウイルス(HIV)」と命名されたウイルスですが、エイズの原因でなければ一体何なのでしょうか?

次回は、これについて書きたいと思います!
段々、「コロナ騒動はエイズのときと似ている!」という話の核心に迫ってきますよ~🙋

ということで、次回もお楽しみに!

ここまでお読みいただき、ありがとうございました👩❤️

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